おもしろ発見!
【非業の最期を遂げた姉妹、女性の活躍について日越の違い】
「物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム」
小倉貞男著
を読書中。
前頁5503ページの内、まだ39%しか読んでいないのですが、
ヴェトナムと言えば、
フランス統治時代からベトナム戦争にいたるまでの近代史か、
安土・桃山、室町、戦国時代に茶器としてベトナムの陶磁器が珍重されるなど、
交易があったことを、知っている程度でした。
それ以前の「ベトナム」とは、どういう国であったのか、
そもそも「ベトナム」という国と民族、アイデンティティがあったのかどうか、
とても興味がありましたが、
なかなか詳細にまとめた書物に出会う機会がありませんでした。
電子書籍で、手あたり次第「ベトナム」について購入して読んでいるうちに、
「Amazon」が薦めてくれたのが、この一冊でした。
それによると、有史以前4,000年前の縄文時代の遺跡などが発掘されているそうです。
その後、長きにわたって、
北の中国の圧力を受けて朝貢を続ける一方で、
南へ勢力を伸長し領土を併合していった、
「北属南進」を繰り返しています。
中国(も、さまざまな民族が覇権交代を繰り返しています)に、
ずっと従属をしていたわけではなく、
何度も侵攻に抗い、「独立」しながらも、
一方で「朝貢」で「国」としてのお墨付きを頂戴するということを
繰り返していたようです。
日本も一時、中国への「朝貢」の時期がありましたが、国境を接していないため、
その影響は少なく、独自の政治・文化・経済を発展させてゆくのでした。
さて、ベトナムの中国に対する反乱の中で、
「女性」たちの活躍がめざましく、
「武勇伝」が残っているものも少なくないのです。
中でも有名なのは、
1世紀に後漢の交州 (現在のベトナム北部など) で、
反乱を首謀した「ハイパー・チュン」姉妹です。
ですがその支配は3年に過ぎず、
「崖から川に飛び込んだ」「首をはねられた」「行方知れずになった」等、
複数の説はあるのですが、いずれにせよ非業の最期を遂げたようです。
今でも英雄として語り継がれ、祀る寺院は数多く、
「ハイ・バー・チュン通り」は、
ハノイやホーチミンをはじめとするいくつもの都市にあります。
日本では、歴史上に「武勇伝・英雄」として名が残る女性を
私は知りません。
「巴御前」「北条政子」も、「夫を支える妻」という印象です。
そういう意味では今の大河ドラマ、
「井伊直虎」という女性は稀有な存在ですが、
最近「直虎は男性」であったという新たな資料も見つかりました。
天皇家にしても、過去に8人、10代の女性天皇が存在しました。
すべて「男系女性天皇であり、女系天皇ではない」とされています。
全員独身で即位し、上位以後も独身を通したそうです。
さらに男系男子天皇と男系男子天皇の間をつなぐ「中継ぎ論」が通説で、
つまり空白をつくらないための「ピンチヒッター」だったのですね。
女性が英雄として語り継がれ、通りの名前にまでなるベトナムと、
あくまで「補助」的な役割や、記録自体がうやむやな日本、
それは、現代の女性の活躍においても脈々と影響し、
日本とベトナムの女性の活躍や、扱いの違いに見て取れるように思うのです。
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※写真:「パーク ハイアット サイゴン」の前が「ハイパー・チュン通り」です。